Orgenoa

Lily × Orgenoa



by LiLy

アボガドの種を、大きなシルバースプーンでくり抜いた。バナナの皮を剥き、水でザッと洗ったほうれん草も、
ジューサーの中に投げ入れる。食べかけのリンゴも、ぽいっとそこに放り込む。
酵素パウダーを上からふりかけ、蓋をして一気にクラッシュアップ。

中の氷がガリガリと砕けていく音を聞くと、一日のはじまりを実感する。

最近は、こんな風にグリーンスムージーを飲む自分をSNSで周囲にアピールする、のが流行りと聞く。驚く。
自分のイメージアップに対する、一般人の貪欲さに。

それを仕事としている私は、嫌でも聞こえてくる周りからの評価から、逃げるようにして耳を塞いできた。
そう しているうちに、ほんとうに興味がなくなった。私のことは、別に、どう思ってもらってもかまわない。私は女優だ。
この身と 心を丸ごと使って表現した作品を、楽しんでもらえればそれで良い。

もの凄い音を立てて小刻みに震えるジューサーの中で、ついさっきまで果物だったり
野菜だったりしたものたちが、緑の液体に呑み込まれてゆく。氷の粒が、小さく、小さくなっていく。

パチンッとスイッチをオフすると、キッチンがシンッと静まり返る。カチャリ、とジューサーのガラス部分を取り外し、
そこに直接口をつけ、とろりと冷たいドリンクを喉に流し込んだ。バナナが熟れすぎていたからか、舌に絡み付くような甘さがある。
でも、嫌いじゃない、癖になる味がする。

私は、自分を大事に思っている。だから、とても大切に扱っている。髪も、爪も、肌も、心も、常に自分の手で
丁寧にケアしていたい。

ガラスを逆さにし、最後の一滴が口の中に流れ落ちてくるのを待ちながら、自分をきちんと管理できていることを嬉しく思った。
日々の生活リズムが整うことが、こんなにも心地よいなんて。嵐のような恋愛が通り過ぎた後だから、よけいにこの静けさが、
身に染みて愛おしい。

『おはよう。これからヨガに行って、その後、取材が数本。夜には戻るから、適当に入って、くつろいでいて』

彼にメールし、家を出た。

「身体の声に、耳を傾けて。呼吸に、導かれるようにして、身体を動かします」

四つん這いになった状態で、息をゆっくりと吐き出しながら、ヘソの中に頭を潜り込ませるかのように丸くなる。
「背中の気持ちのよい伸びを感じましょう」

額の汗が、マットにポタリと落ちるのを感じる。
「マールジャ―ラ•アーサナ。猫の、ポーズです」

先生の、しっとりとした美声がどこまでも耳に心地よい。彼女がひとポーズに置く時間はとても長く、そのたびに閉じるまぶたの裏で、心がすぅっと浄化される。

昨年、恋の終わりと激しい役柄とが重なり合った果てに、心のバランスを崩してしまった。その時に出会ったのが、アユールヴェーダ。第三の目があるといわれている額の真ん中にオイルを垂らしてはじめる、シロダーラという施術がきっかけだった。あたたかいオイルが頭皮全体にジワリジワリと浸透してゆく感覚はまるで、脳を優しくほぐされているかのように気持ちよく、ずっと悩まされていた偏頭痛からも解放された。

それは、自分の身体に入れるものは心にも浸透するのだということを、身を持って感じた瞬間でもあった。食べるものはもちろん、頭皮につけるオイルひとつをとってもそうなのだ。口に入れるもの、肌につけるもの、すべてをきちんと選ぶようになった。

でも、と思う。

こんなことを言ったら怒られるかもしれないけれど、私がこうして自分のコンディションを整えるのは、より乱れやすくするためだったりする。自分自身をフラットな状態にしておくことで、次に演じる役柄に、より入り込める。次にくる恋愛に、より激しく乱れることができる。

私はそれが、何よりも好きだ。常に心の平穏を保っていたいわけでは、まったくない。なんのための、人生だ。
私は自分に与えられた、この心と身体を最大限に使って、ありとあらゆる感情を楽しみ尽くしたい。

————そんなようなことを喋って、本日最後の取材を終えた。私に対していちいち気を使い過ぎている編集者と
ライターが、ヨガをする理由ひとつをとっても“そこには私らしさ”がある、と口々に絶賛してきた。ひどく疲れた。

私個人に対する質問を浴びるように受けるたび、演じることだけに没頭できたらどんなにいいだろうと思う。
何故、女優という仕事は、他人に夢まで売らなきゃいけないのだ。作品を観る側にとっても、「私」というものに色が
ついていないほうが、その映像世界にどっぷりと浸れるだろうに。

不思議に思うと伝えたら、ビジネスとはそういうものだと、一言で返されたことを思い出す。

冷酷なまでに、すべての物事を合理的にみる彼の目線に、惹かれていた。尊敬し、憧れ、いつのまにか洗脳されていた。
魂をその役柄に捧げるようにして他人を演じる時のように、私は隙間なく、彼の色に染まり切った。

大恋愛であり、最後に逃げ出したのは私であっても、かなりの痛手を負うに至った大失恋だった。

次のそれに備えるためだと自分自身に言い聞かせながら、あれ以来、もう一年も、恋とも呼べぬ浅い情事だけをいろんな男たちと
繰り返している。

この子もそう。

自宅のドアを開けるなり目に入った、男物の靴を見て思う。

これは恋じゃない。

好きな男に、合鍵を渡したりしない。安全だと判断したから、あげたのだ。この子は私を、セックス以外で乱せない。
とても無害な、かわいいだけの男の子。自分の世界というものを持たないから、一ミリだって刺激されない。
要は、クソつまらない。

朝家を出た時には晴れていた気持ちが、嘘のように濁ってしまっていることに気がついた。取材は嫌いだと、改めて思う。赤の他人と会って自分のことを話す行為は、私を何より消耗させる。

足を引きずるようにしてリビングへと通じる廊下を歩きながら、彼を家に呼んだことを既に後悔していた。もう、このまま誰とも喋らずに、深い眠りに落ちたい気分。

ドアを開けると部屋は暗く、彼の姿は見当たらなかった。奥の寝室のドアから細い光が漏れているが、彼が出てくる気配もしない。ほっとして、バッグと鍵をソファに落としてキッチンへと向かった。ウォーターサーバーにグラスを押し当て、水を入れる。

身体を冷やすから良くないと分かっているが、帰宅時の一杯だけは自分に許してあげている。キンキンに冷やされた水が、喉の奥を滑り落ちてゆく。疲れた心に、染みてく気がする。ふぅ、と一息ついてグラスを置くと、気がついた。シンクに置いたまま出たジューサーが、綺麗に洗った状態で元の場所に戻してあった。

いい子だし、すごく、すごくかわいい。

寝室のドアを開けたら、真っ白なベッドの上で丸くなって眠っている男の子を見つけて、改めてそう思った。家の中で唯一灯されていたベッドサイドの間接照明が、オレンジ色の光を斜め上から彼の寝顔にあてている。閉じたまぶたの下に入った睫毛の影が、彼の長い睫毛をより長くみせていて、見惚れてしまう。

眠りに落ちる寸前まで読んでいたのだろうか。ハードカバーの分厚い本が、柔らかなマットレスの中に沈み込むように置いてあり、その上に彼の指先が乗っていた。それが、最近公開された私の主演映画の原作小説だと分かると、自然と頬がゆるんでいた。

彼を起こさないように、ゆっくりとベッドの端に腰をおろす。スースーと寝息を立て、安心し切った様子で眠っている彼の寝顔見ていたら、その清らかな頬に触れたくなった。そっとそこに唇を押しあてると、彼からふわっと、私の知っている香りがした。

——違う。知っているどころか、私の香りだ。

彼の髪から、私のシャンプーのにおいがする。

初めて他人の髪越しに嗅いだ“好きな香り”に誘われるようして、彼の髪に、そっと鼻先を埋めていた。
まだ、内側が湿っている。そのなかに閉じ込められるようにして、しっとりとした強い香りがこもっている。

華やかな花の香りに隠れるようにして、うっすらとほのかに、草が香る。ラベンダーとローズマリーによってブレンドされ、
すっかり影を潜めたセージの香りが、私には分かる。

ほとんどの人は気づきもしないだろうけど、この“聖なる薬草”に救われたことのある私は、シャンプーするたびに
その香りの効果を感じている。ハーブの中でも刺激が強く、独特な香りを持つ、セージ。
「太古から、魔を払い、ネガティブな感情をポジティブへと逆転させる、不思議な力を秘めた薬草として使われて来た」

ありとあらゆる批判から心を守るために日本を離れ、数週間ひとりで滞在していたアユールヴェーダの施設にて、
そんな説明を受けたことを思い出した。

自然の力を借りて、這い上がった。私は、あの時、底からなんとか、抜け出した。

———『秘密の花園』

そう題された香りの中で、

私は息を潜めて泣いていた。

いつから起きていたのか、今にも消え入りそうな掠れた声で、彼が私の名を呼んだ。

髪から私の香りを漂わせる、寝起きの男の潤んだ瞳を見つめていたら、初めて味わう気持ちになった。今迄ずっと不可解だった、
女を自分色に染めたがる男のエゴを、自分の中に見た気がした。

思考を逆転させるという、セージ香りのせいなのか。それとも彼の、無垢な魅力のせいなのか。

この子のすべてを私のものに、してしまいたくなった。私で染めて、私に漬けて、この真っ白いシーツの中に、
どこまでも、どこまでも、彼を沈めてしまいたい衝動に駆られる。
「ねぇ、どうして泣いているの?」
「••••••わからない」

溢れ出した涙と共に、一年かけて整えた気持ちが、あぁ、どうしようもなく乱れてく。

The end.
作曲:内門卓也
LiLy
コラムニスト/作家。81年生まれ。
神奈川県出身。 10歳から12歳をニューヨーク、16歳から18歳をフロリダで過ごす。
上智大学外国語学部卒業。小説『ブラックムスク』(小学館)、『me&she.』(幻冬舎)など
著作多数。
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